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「生まれてくるんじゃなかった」という言葉についてのページです。
目を通しておく事で、「生まれてくるんじゃなかった」という言葉についての理解を深めることができるようになります。
結論
- 「生まれてくるんじゃなかった」という言葉はその人の価値観であり、周りが間違いや正解かを決められるものではありません。
- 「生まれてくるんじゃなかった」という言葉には、「絶望・退屈・後悔」以外にも「チャンスへの渇望」「少しの変化で大きな喜びを得られる」といった様々な側面があります。
- また、「自分の命よりも大事にしているものがある」という見方もあります。
何故こういう結論に至ったのでしょうか?
理由について解説していきます。
おすすめな人
- 「生まれてくるんじゃなかった」と思っている
- と思ってるけど言えない
- 言ってみたけど上手く伝わってない
- 聞かれても自分でも答えられない
本題
「生まれてくるんじゃなかった」という言葉について、以下5つに分類して書いていきます。
1. 背景を調べる
2. 原因の追究
3. 対策を立てる
4. よく言われること
5. その他
6. 伝えたいこと
それぞれ解説していきます。
- 調べたことと、自分の考えを交えて述べます
- 「読みやすいスカスカ」よりも「読みにくい全力」を目指した結果、めっちゃ詰め込みました。
- 記事どころか文章としてしっちゃかめっちゃかなので、流し読みして脳が反応した部分だけ受け取って下さい。
背景を調べる
- 「生まれてくるんじゃなかった」という言葉の背景には、「生きるのも死ぬのも嫌だ」(やりたいことがない)→「そもそも生まれてきたことが間違いだった」という考えがあるように思える
- 何を選んでも取り返しがつかない状態であり、自殺という選択肢を検討している「死にたい」とはニュアンスが違う
- 選択肢や目標がない為、行動ができない
- 「生まれてくるんじゃなかった」という言葉を言い換えると、「人生リセマラしてえ」になるのでは?
「生まれてくるんじゃなかった」という言葉の背景を「個人」「社会」の二つの観点から見ていきます。
個人
個人の場合で、「生まれてきた意味がわからない」と「生まれてきたことをなかったことにしたい」という二つのケースを挙げます
「こんな辛い思いする為に生まれてきたんだろうか?」(自分に対する影響)という思いと、「利益出ねーのに保守運用にもコストかかるし、かと言って処分も大変だしでマジ俺とか導入して失敗だったわ」(自分が及ぼす影響)という思いについて、書いていきます。
また、これら二つは併発している場合もあります。
生まれてきた意味がわからない
- わからないというか「認めたくない」
- 自分の立ち位置や役割に納得できない
- 「こんな役割なら別に自分じゃなくていいじゃん」→「なんで自分なの?」となる
- ただし原因に納得したらそれはそれで「そういうことなら生まれて来るんじゃなかったわ」ってなる
- 自分の個性や能力を活かせる場所を探している
- 自己表現の方法を求めている
または、こんな見方もある
「生まれてきた意味は、辛い体験をする為」という見方について
- 【 生まれてきた意味は「辛い体験を味わい、その後の喜びを理解する為」】
- 自分で答えを出す修行に意味があるのであって、ただ耐えるだけの苦行には意味がない
- 「苦行して過ごすだけの一生なら、遊んで暮らすのと何ら変わらない」(仏様の言葉から引用)
- 「辛い」と「幸せ」はワンセットなので、片方だけを失くす事はできない
- 辛い思いをしたことがない人は、幸せにも気づけない
- 「辛い思いをしたくない」という考えの裏には「幸せになりたい」という考えがある
- あなたが諦めてるのは、「あなたが感じる幸せ」か、それとも「周りが挙げた一例」なのか
- つまり、辛いと感じている人は、既に幸せになる準備ができている
- ただ、自分の価値観の上に周りのフィルターが重なっている為、幸せが検索にヒットしない
- フィルターは強力だが、これを解除しなくては幸せ検索機能が正常に作動しない
- 途方も無い作業だが、自分自身のデバッグを行うこと
- 要約すると、「自分と他人の境目が曖昧になっている」ことが原因
- 他人と付き合う中で、自分の大事な設定まで相手の為に変更していないだろうか。
- 変更した後、戻し忘れてはいないだろうか
他にも、ちょっと興味を惹いた「死後の世界」について
死後の世界について
- 死後の世界には制限がない
- あの世では望んだことが一瞬で実現するらしい
- 制限がないから解放もない
- 一時的には現世からの解放感を得られるが、すぐに飽きてしまう
- 臨死体験(または一時的な脳死状態)の事例
- 「死後の世界は意識を働かせた瞬間に、望みの場所、答え、すべてにつながる感覚があるため、宇宙の物理的粒子が互いに存在せず付随しているようだった。」エベン医師、脳神経外科医
- 「あの世は、願ったことが何でも瞬間的に叶うので【未来】に行った。すると、生きてる自分が講演会をしてたので【あ、自分は生き返るんだな】と安心した。」木内鶴彦、作家
- 人生における苦しみの原因は「制限」があるから
- 制限(現実)と目標(自分)にギャップがある状態を「不幸」と思っている
- 不幸とは、即ち「現実と自分とのギャップの大きさ」?
- 制限(自分)と解放(現実)のギャップが「幸せ」?
- 苦しみが強いのは、喜びを強く求めているから
- 「期待してはいけない」も制限の一種であり、制限があれば同時に不幸も幸福も発生することになる。
- したがって、不幸を回避するために「何も期待しない」を試しても無駄である。
- 「生まれてきたくなかった」といってる人ほど、死後の世界から戻ってきてしまう?
生まれてきたことをなかったことにしたい
- 自殺願望との決定的な違いは「実現可能か否か」
- 後ろ向き過ぎて歴史修正の域に達している
- 「可能であるならば、やり直したい」という思いが裏にある
次に、社会との関係について書いてみる。
社会
- 90年代後半から00年代にかけて、リストカットに関する書籍が多く出版され、社会問題になった事例がある。
- バブルの崩壊
- リストラの急増
- 就職氷河期の到来
- 非正規雇用の増加など、労働環境の変化
- これらの変化により、それまでの「卒業→就職=安定」というパターンは通用しなくなった
自殺
- 長い間、20代・30代の死因1位は自殺
- 08年からは15〜39歳の死因1位でもある(11年は除く)
- とはいえ、日本は先進国の中でも自殺率が高い国であることは確かなようだ。
- 座間事件など、「死にたい」という人を標的とした事件は、05年・07年にも発生している。
- 03年には、ネットを介して一緒に自殺する相手を募集する「ネット心中」が多発し、連鎖した
- 05年には、ネット自殺の死者は91人に到達し、その翌年には「男女7人の集団自殺」が大きな話題となった
- しかし、ネット心中や上記の事件を受けて、「死にたい」という思いを発信しにくい状況になった。
- そのため、リアルでもネット上でも仲間を見つけることができず、更に追い詰められやすい状況になったと言える。
- 「死にたい」という言葉を規制することにより、事件自体は減るだろうが、自殺を減らすには別の対策が必要となる。
自殺しない理由
- 【失敗した時の後遺症が心配】
- 自殺も人生における選択肢の一つであり、死も生の一部ということがわかる
- だからこそ、生そのものを否定する「生まれてくるんじゃなかった」という言葉という結論に至る
- 薬で死のうとしても、胃洗浄は苦しいらしい(地獄とのこと)
- 医学の進歩に伴い、自殺も難しくなっていく
- 成功したとしても、周りの迷惑が心配
- 「悩みを捨てること」と「悩みを解決すること」は違う
- まして、その悩みが自分自身と強く結びついていたら、悩みを捨てることは自分を捨てることも同然、自殺と大差はない。
- 「悩みを捨てろ」と命令することは、「死ね」に近い場合がある。
- 実際、命令によって思考を奪われて殺される人は、いつの時代も後を絶たない
- 他人事ならばそれでいいが、僕にとっては自分の問題でもあるので、「悩みを捨てずに解決する方法」を模索したいと思う
- 本質的に良い人?
- 良い人というのは、「周囲にとって都合が」という意味。
- 「周りに迷惑をかけてはいけないよ」という教育が本人の価値観と深く結びついてしまっているため、周囲の都合を捨てることができない。
- 従って、死んだ後も周りの迷惑を気にしてしまう人は、それが既に人格の一部になっている。
- その人格のせいで「死にたい」と思っているのに、その人格のせいで「死ねない」とも思っていることになる
- こうなると教育というか呪い
- 死んだ後も守りたいと思うものは、家族だったり仕事だったりまちまちだろうが、一部の例外もなく「本人にとって命と同じくらい大事なもの」である筈
- つまり、「自殺することで周りに迷惑をかけたくない」という人は「自分の命と同じくらい周りの迷惑を考えている」ということになる
- 「死にたいけど周りの迷惑が心配で死ねない」と親や学校に言ってみたら「我々の教育をそこまで大事にしているとは!」と喜ぶんじゃないか?
- まあ恐らく洗脳した自覚ないだろうから「そんなこと言ってはダメ」的な返事が返ってくるだろうけど
- そしたら今度は「相談したら迷惑なんだ」と身の回りの人間に相談することもできなくなって、更に追い詰められることになるんだけど
- だが「自分を大切にしなさい」という教育は受けていないため、自分の命は捨てられる。
- 経験がないので、発想が生まれない。
- 発想が生まれたとしても、その発想に自信を持てない。
- 【普通に怖い】
- 本能だろうか?わからない
- 口では「もうダメだ」と言いつつも、心のどこかで「でもいつかはハッピーエンドになるよね?」と思い込んでる。
- 教育以外にも周囲の人々の言動やその結果、あるいは歴史上の出来事、その他の事例、更にはフィクションでの顛末であっても「より深くより多く刻んだ言葉」が思考パターンとして根付く
- 勧善懲悪のハッピーエンドというパターンが根付いてしまっていた場合、以下のような現実とのギャップに苦しむことになる
- 自分の非を認められない(悪役になったら悲劇的な結末が待っているから)
- 周りに期待しすぎてしまう(自分が正義なので幸せになるべきと思っている)
- 不幸な人を差別するようになる(「不幸な目に遭う=悪人に違いない」という理屈)
- 「その人が悪だから不幸になった=悪ではない自分は不幸にはならない」という理屈。
- 「いじめられる側に原因がある」も恐らく同じ、「その人に原因がある=自分には原因がない=自分は安心」という理屈
- 生贄とか祟りとか魔女狩りとかも同じ、得体の知れないもの・怖いものには何とか理屈を見つけて、自分と恐怖を分断しようとする。
- スケープゴートはどの時代、どの場所にも存在する。
- 一度スケープゴートを受け入れてしまったら「こいつはこういう役割押し付けていい」と学習するため、次回以降も同様の扱いが続く(「いいじゃん一回受け入れたんだし」「他にやったことある奴いないし」)
- 途中で逃げ出そうとすると非難される(「話が違う」「じゃあ最初から言えばよかったじゃん」と何故か悪者にされる)
原因の追究
「生まれてくるんじゃなかった」という言葉の背景には、「生きることが難しすぎる!」という思いがある
「なぜ生きることが難しいのか」について考える
全部の言葉を真に受けているから
- 他人からの「あれをやれ」「これはダメ」などの命令や制限を全て真に受けてしまったから
- 命令や制限を全て真に受けると、「自分への規制」が増えることになる
- 自分への規制が増えると、以下のようになる
- 常に全ての条件を守ろうとするので、窮屈な思いをすることになる(自分でハードルを上げてしまう)
- ちょっとしたミスや欠陥が許せなくなる(過剰な完璧主義に陥る)
- 検索条件が増えれば該当件数も減る
- 自分への規制が増えれば当然できることも減る
- 「自分には何もできることがない」と言う人は、条件設定を見直そう
- 他人の意見に耳を傾けるのは大事だが、あなたを支配しようとする言葉に関しては無視するべき
- 「状況に応じて自分で判断しろ」じゃなくて「俺の都合に合わせて動け」って意味で使われがち
- この状況から脱却するには「万人に応えなければ!」という思い込みを取り除くこと
- 「皆に好かれる、誰からも愛される」を目指さない(これを目指しているのは少数だろうが)
- 更に「誰にも嫌われない、敵を作らない」も諦める(これはかなり多いように思われる、やはり「嫌われると不利!」という思い込みがある)
- なお、言ってくる本人には悪気はない。悪気なくあなたを支配可能なものとして見下している。
- というか、好き嫌いで人を有利にしたり不利にしたりって、かなり傲慢な気がする
- 好き嫌いで判断する審判とか、それこそ観客からも選手からも嫌われるのでは(少なくとも、大事な試合の審判がそんな奴になったら、かなり気持ちが萎える)
- 「普通に公平に判断しろよ」と思うのは間違いだろうか
- 要するに、これらの理想や圧力といった制限があるために、あなたの人生は困難なものとなっている。
- 音ゲーの片手縛りや、RPGのレベル縛りのように、ゲーム内の難易度とは別に、独自の縛りプレーで挑んでいるようなもの
- それで「自分はザコ、人生はクソゲー」ということにはならない
- つまり環境に問題があり、あなたやあなたの人生に問題があるのではない
したがって、「生きることが難しすぎる!」という場合、以下の対策が挙げられる。
- 付き合う人間を選ぶ(ただし公平さは失わないこと。人によって態度を変えていると、大事な人間からの信頼も損なう場合がある)
- 目標と条件を見直す(難易度設定の確認)
- 環境を変える(ハードに問題がある場合)
対策を立てる
「生まれてくるんじゃなかった」という言葉への対策を挙げてみる。
ざっくり言うと、「生まれてくるんじゃなかった」という言葉は「気が重い」という状況から生まれる
つまり、「気を楽にする」ことが対策となる
ということで、「気を楽にする方法」を思いつく限り挙げてみる。
寝る
- 睡眠は人間にとって最も基本的な3大欲求の一つであり、「マズローの欲求段階説」において最下層の生理的欲求に位置する
- つまり下位の欲求ほど優先度は高くなり、満たされない時のストレスは大きくなる
- そのため、睡眠不足は心身に悪影響を及ぼすことになる
参考までに、十分な睡眠を取る方法を挙げてみる
- 深呼吸で副交感神経の働きを高める
- 自分に合った寝具を用意する
- 寝る前にストレッチ
- 入浴時に
- 夕食後以降はカフェインをとらない(コーヒー、紅茶、緑茶、ウーロン茶、栄養ドリンク、コーラなど)
- 仕事の日、休みの日もなるべく同じ時間に寝て、起きるよう心掛ける(体内時計を一定に保つ)
- 朝9時までに太陽に当たる(太陽にあたることで体内時計をリセットする)
- 寝る1~2時間前までに入浴(温度は40度ほど、脳や体が冷めていく時に眠気が発生すると考えられている)
- 朝食はとる
- 日中適度な運動を行う
- 寝酒、喫煙を控える(寝つきは良くなるものの、体内のアルコール濃度の変化により、中途覚醒を招く)
- (アルコールには利尿作用があり、更に筋肉の弛緩による「いびき」「睡眠時無呼吸症候群」を招く可能性も)
- 就寝時には興奮・緊張など覚醒を避ける(電気を消す、画面を見ない、計算をしないなど)
- 要約すると「就寝時にリラックスするタイミングを合わせる」となる
- (他には、以下も参考に
【決定版】不眠症の原因、不眠症の改善法 心理カウンセラー直伝)
- まずは三大欲求が満たされているかどうかを確認すること
- 睡眠、食事などの生理的欲求が満たされたら、次の段階の欲求を確認する
- 「なんかわからんけどモヤモヤする」という人は、「マズローの欲求段階説」を見て、自分がどの段階まで満たされていて、今はどの欲求を達成しようとしているのかを確認してみよう
恨みを忘れる
- 恨むと心身共に疲れる
- また、大抵の場合は晴らせない(というか、晴らせないからこそ恨みを持つ)
- そもそも簡単に晴らせるのであれば、最初から恨みなんて持っていない
- 恨みを持っていてもいいことなんてないので、即刻忘れるべき
- →それができれば苦労はしねえ
- 「問題をスルーすること」と「問題を解決すること」は違う
- どうすれば恨みを忘れることができるのか?
- 恨みの原因は、「出口を失った感情」と考えられる
- つまり「出口」を与えることで多少なりとも緩和されると思われる
- 言葉にできない感情は、昇華させることができればベスト(芸術やスポーツといった趣味など)
- 言葉にできるのであれば、相談が好ましい(信頼できる相手や、腕のいいカウンセラーを選ぶこと)
- 正論やルールといったシステムの必要性を否定するものではない。システムの決定権の有無や、利益や不利益が集中しているのが問題(参政権、身分制度など)
- システムに対して悩んでいる相談者に、発端であるシステムを押し付けても無意味どころか、逆効果。余計に追い詰めるだけ
- 別に相談でなくても、SNSやブログ・日記などに書き込むだけでも効果はある
- 要するに「出口がない」というのが問題なのであって、言葉でも行動でも何らかの形に変換して別の場所に吐き出すというのが重要(恨みをそのまま抱え込み続けることで、怨念になったり亡霊になったりする)
現実を受け止める
- 不満は現実と自分とのギャップから生まれるので、現実を受け止めることで不満はなくなる
- →それができれば苦労はしねえ
- では、現実を受け止めるにはどうすればいいか?
- 現実とギャップがあるのは、「想像の中の自分」である
- つまり「想像の中の自分」を消すことで、現実を受け止めることが可能になる
- では、「想像の中の自分」を消すにはどうすればいいか?
- この「想像の中の自分」は習慣から生まれる(「言われて育った言葉」「当たり前だと思っていること」「制限や条件」など)
- これらの習慣、というか固定観念を取り除くことで、「現実の自分」が表に出てくる
- 固定観念は「合格ライン」や「達成条件」のようなもの
- 高ければ高いほど、多ければ多いほどに厳しいということになる(プレッシャーは重くなり、不合格者が増える)
- 同様に、固定観念が強ければ強いほどに、現実とのギャップも激しくなる(基準を満たせない自分や他人を許せなくなる)
- ギャップを一回感じるごとに不合格を一回突きつけられているようなもの(積み重なれば自信を失うのは自然)
- 自信や行動力を奪う原因に失敗が挙げられるが、何を失敗とするかは自分次第(よく言われる)
- つまり、自信や行動力を奪う原因は、失敗そのものよりも、厳し過ぎる固定観念にあると考えられる
- なので、固定観念を取り除き、失敗も成功も単なる結果として受け止めることで、想像と現実のギャップを減らすことができる
- 固定観念を取り除き、本当の自分を知ることができれば、過剰に頑張ったり、余計なプレッシャーを感じることもなくなる
- 結局は「考え過ぎない」「自分を認める(身の程を知る)」ということ
- 読みにくくて申し訳ないが、おかげでブログに対して大分気が楽になったということは報告したい
- 特にブログが書けないとお悩みの方へ
よく言われること
「生まれてくるんじゃなかった」という言葉的なことを言うと大抵以下のような言葉が返ってくる。
それに対しての考えを述べる。
自殺する勇気があるなら何でもできる
- ↑なんでやねん
- 勇気じゃなくて自棄(「飛び降りるか、突き落とされるか」の2択)
- 後もないし失うものもない
- 真剣な悩みを茶化されても気にしないように
- 他人の悩みに対する反応なんて大体こんなもの
- 知らず知らずのうちに人を傷つけることは誰にだってある
- お互い様、気にしない、真に受けない
甘えるな
- 甘えてない、真剣
- 「生まれてくるんじゃなかった」という言葉は「人生における自分の展望について、真剣に検討した上での結論」
- 「この先どのように運用しても、これ以上の利益は見込めない」という結論に至ったからこそ、導入して失敗だったと言っている
- 人生に関する結論を、適当に出す奴がいるだろうか
- 命に関わる問題なのだから、塾考を重ねたと考えるのが自然ではないか
- まして今は安定とは程遠い時代
- ブラックに勤めた結果、過労死や自殺に追い込まれる人が後を絶たないし、例え大手企業に就職できたとしても、安定とは限らない
- 選択を間違えれば死ぬ時代
- 進学にしろ就職にしろ結婚にしろ、余計に慎重にならざるを得ない
- それなのに「余計なこと考えず黙って従え!」というのは、かなり無茶な命令ではないだろうか
- 突撃命令に従って死ぬ奴は今も昔も後を絶たない
- 一昔前はカミカゼ、今の時代なら過労死(あとはヤクザの鉄砲玉とか)
- 「国の為に」「天皇の為に」が「会社の為に」「家族の為に」に変わっただけで、無茶な作戦に従って殺されることに変わりはない
- それで事態が好転したならともかく、戦争に勝てたわけでもないし、生活も安定しない
- 命令に従ったところで、死んだ後で勝手に祀られたり憐れまれたりするだけ
- 余程追い詰められなければ、そんな生き方は受け入れられないだろう
- 従って殺されるか、逆らって追い立てられるかの2択
- 「こんなことなら生まれてくるんじゃなかった」「もっといい生き方はないだろうか」と考えることは、そんなに変だろうか?
- 戦場に行かずに済む司令部や老人は「玉砕してこい!」って安全な場所から命令出してれば済むからいいだろうけど、実際にその命令に従って死ぬことになるのは誰か考えてほしい
- 別の視点から考えてみる
- 「どうやって生きるべきか?」を考えることが、何故甘えになるのか?
- 「甘えるな」という人は大抵「自分の苦労話」を始める
- 「自分がこんなに苦労してるんだから、お前も俺と同じ苦労をしろ」ということだろうか(自分だけ損をするのは誰だって嫌だろうし)
- 「損すること=間違いを突きつけられること」という考えがあるので、避けようとする
- まして、「ゆとり」「最近の若者は」と自分が見下していた相手から間違いを突きつけられたら赤っ恥(馬鹿にしていた相手よりも更に馬鹿ということになる)
- あるいは、「後からやってきて何もしてない癖に甘い汁だけ吸おうとするな」という考えもある(順番を待ってたら割り込まれたような感覚)(古参と新参の争い)
- 要するに、「甘えるな」と言う方も言われる方も、どちらも「損をしたくない」という考え方がある
- 自分だけ損をしたくないから、周りにも苦労を押し付けようとするし、楽な道を探そうとする
- つまり両方とも、周りに期待しなければ済む話
- 事実だとしても苦労話は大抵受け入れられないし、理想だとしても楽な道は簡単には見つからない
- お互い無理なことを言い合っているわけだ
- どちらも本気にせず、聞き流すのが一番と考える
その他
- 創作のプロと、精神病発生の高い報告率との関係は、長い間研究されてきた。
- 無知な輩ほど好き放題言う(批評家気取りの野次馬とかワガママな新人とか)
- 彼らには積み重ねたものがない(失うものがないから強気になれるし、空っぽだから好きに描ける)
- 差別や偏見もそう(知識がないから決めつけられるし、覆されたくないから知ることを拒む)
- 知らない→怖い 知ってるつもり→強気
- 知ってる人間はどんな行動をとるだろう?
- 知識が深いほど黙る(この程度の知識は語るまでもないと考える、もしくは深すぎて語る相手がいなくなる)
- 「生まれてくるんじゃなかった」という言葉で検索してみたら、ミイダスと言う転職サイトのアフィリエイトが多い
- ↑職場から逃げたい人に向けた記事
- 子供は親を選んで生まれてくる(親に何かを伝える為に生まれてくる)
- 虐待してはいけない、死産してはいけない
- 親の為に生まれてくるのなら、子供の幸せは?
- オーバードーズについて
- オーバードーズとは、薬の過剰摂取のこと
- 繰り返していたことで心臓が弱り、自殺か事故かわからない形で亡くなった人や、吐瀉物を喉に詰まらせて窒息死した人も
- 寝逃げ
- 寝ている間は何も考えずに済むので、ひたすら寝る(薬を飲んで強制的に意識を失うレベルまで行うことも)
- リストカット
- 肉体的な痛みで、精神的な痛みを誤魔化す
- 子育て・宗教・フワフワした記事が多い
- 引き寄せの法則
- 自分で自分を縛る
- 正義感=大きなお世話?
最終的に伝えたいこと
- 強く縛られている人ほど、解放感を味わえる
- 不幸な人ほど幸せになれる機会が多い
- 他人に評価されても、一瞬程度の影響しか出ない(評価が大きな影響を与えるのは一部の権力者に対してのみ、全員から評価されようとしても殆ど無意味)
- 正解はない、人それぞれに独自のルールがあるだけ(独自のルールを他人にまで押し付ける人は滑稽に映る)
私のやった仕事で本当に成功したのは、全体のわずか1%にすぎない。
99%は失敗の連続であった。
本田 宗一郎(ホンダ創業者)
われわれは何事についても1パーセントの100万分の一も知らない。
それは失敗じゃなくて、その方法ではうまくいかないことがわかったんだから成功なんだよ。
エジソン
まとめ、感想、あとがき、余談、補足
まとめると、このようになります。
「生まれてくるんじゃなかった」という悩みについて
- 価値観の問題なので、周りには解決できない
- 改めて自分を知ることが大事
- 気を楽にする
しかし…
「自分を知れ」と言われても、中々難しいものです。
「自分に合った生き方」がわかってたら、今頃悩んではいない筈です。
「好きなこと」「嫌いなこと」はすぐに浮かぶと思います。
しかし「得意なこと」や「苦手なこと」は簡単には出てこないのではないでしょうか?
これは、「文頭に(周囲と比較して)」が入るか否かの違いです。
自分一人で考えようとしても、どうしても周囲と比較してしまうのです。
つまり、相対ではなく絶対で自分を分析する必要があるのです。
そして、その為には自分を客観的に見つめることが重要になってきます。
自分を客観的に見つめるには、自分の内面を一旦外に出してみることです。
タンスの中身を片付ける時のように、一旦全部引っ張り出して、一覧できる状態にしてから、分類して整理するのが効率的です。
誰かに相談したり、日記をつけてみたり、絵や音楽で表現してみたり、といった方法が挙げられます。
(分析に使うので、なるべく形に残るものがいいでしょう)
あるいは、会話や本・映画などを通じて「人の考えに触れる」という方法もあります。
人の考えに触れ、共感したり反発したりなど、「それに対して自分はどう思ったか」が自分を知ることに繋がります。
というわけで、次のページです。


次のページ

【要約】
自己分析についてのページです。
簡単な心理テストや、ストレングスファインダーなどの本についてといった、自己分析の方法についての内容を扱います。
【意味】
自己分析を行うことで、能力や資質を活かしたり、無駄な努力を減らしたり、惑わされないようになったりなど、人生において妥当な判断を下すことができるようになります。

【要約】
人生相談やカウンセリングに関するページです。
オススメのサービスや、カウンセリングを受ける際の注意点などの内容を扱います。
【意味】
目を通しておく事で、効果的に相談を行うことができるようになります。
自由なコメント