このページは…
やる気のない人に向けられた「応援してる」という言葉についてのページです。
目を通しておく事で、こう言われた時にどう向き合えば良いのか考えることができるようになります。
このページでは、この言葉に対する疑いや「疑ってしまう理由」「なぜ効果がないのか」などについて、簡単な説明を行っていきます。
結論
この言葉は、無意味です。
まず、「何が目的で応援するのか?」がわからないため、信用できません。
また、本心だとしても受け取れないという側面もあります。
そして、応援が効果を発揮するのは、明るい未来の方を向いている時という欠点があります。
その対策として、自己肯定感を高めるという方法が挙げられます。
何故こういう結論に至ったのでしょうか?
理由を並べていきます。
おすすめな人
- 「この言葉を言われたけど、受け取り方に困ってる……」
- 「こう言われたけど、何か裏がある気がしてならない」
- 「相手の優しさを疑ってしまう自分が嫌だ」
- ……など
本題
今回のテーマについては、これらの項目に分けられます。
何が目的?
他に考えられる「応援してる」と言う理由
目標がないから応援されても困る
それぞれ解説していきます。
- 俺を応援して、一体何の得がある?
- 還元できるものなんて何一つないのに
- 今までの俺を知ってるなら、「成功できる」なんて思ってない筈
- 「成功できる」と思ってないなら、一体何を応援してるのだろうか?
何が目的?
- そもそも俺には目標なんてない
- 「なんでもいいから動け」 ってことだろうか?
- 要するに、「とにかく今の俺は邪魔にしかならない」ってことでは?
- かなり穿った見方だけど、一度そういう風に考えるともうずっとそんな風に考えてしまう
- 何故良い予想は自然でも信じられないのに、悪い予想は無理矢理でも信じてしまうんだろう?
- 怖がりな人間にとっては、悪い予想を信じていた方が安全
「応援する」って何を?
目標がないのに、何を応援しているのか?
- 自分の 身内がニートだと周りの目が気になるから?
- とりあえず勉強でもボランティアでも、何かしらやらせておけば「ニートではない」「今頑張っている所」と言い張れるから?
- 要するに、見栄のためではないか
- 「コイツが出来損ないなのは、私のせいじゃありません」「私はちゃんと教育しました」アピールのために、適当な指示を出して外面だけ取り繕おうとしているのではないか
他に考えられる「応援してる」と言う理由
体裁が悪いから
- 貢いだ金の取り立て?
注ぎ込んだ金を回収したいから?
- 「出来損ないを応援してあげる私ってなんて優しいのかしら」という自己満足
優しい自分アピール?
- 自信がないから受け取れない
- 何で自分なんかを応援するのかわからない
- 受け取ったところで返せるものがない
- 返せないから申し訳なくて受け取れない
- ありがたいと思えば思うほど、受け取れない
仮に本心からの言葉だったとしても
- 応援されても目指す場所がない
- 背中を押されても、どこに向かえば良いのかわからない
- 応援が効果を発揮するのは、明るい未来に向かっている時
目標がないから応援されても困る
まとめ
まとめると、このようになります。
- せっかく応援されても素直に受け取れない
- 応援が効果を発揮するのは、明るい未来に向かっている時
しかし…
「応援が効果を発揮するのは、明るい未来に向かっている時」と書きました。
ですので、応援してくれる人の気持ちを裏切りたくないのであれば、明るい未来に向かう必要があります。
しかし、ここで一つ問題があります。
それは、「怖がりな人間は、明るい未来に向かうことができない」ということです。
理由は記事の中でも書いたように、「悪い予想を信じていた方が、裏切られてショックを受けずに済むから」です。
本来であれば、不幸よりも幸せを目指すのが当たり前に思えます。
ですが、幸せよりも不幸を目指してしまう人がいます。
彼らにとっては、幸せは不安定な足場で、不幸は地に足が着いている状態ということです。
こうした傾向の理由は、自信の無さや罪悪感など、自己肯定感の低さにあるように思えます。
では、この「自己肯定感の低さ」に対処するにはどうすれば良いのでしょうか?
というわけで、次回のページはこちらです。
次のページ
- 自己肯定感についてのページです。
- 自己肯定感は、思考・行動を大きく左右します。
- 思考や行動が変われば、自分や周囲にも変化が現れます。
- 自分や周囲の変化に応じて、未来も変化します。
- つまり明るい未来が訪れるように、徐々に思考や行動を変化させていけば良いのです。
- そのためには、自己肯定感を育む必要があるということです。
- 目を通しておく事で、自己肯定感に関する様々な情報を知ることができます。

【要約】
【意味】
自由なコメント