このページは…
ニートの時は関係ない話が自分への嫌味のように聞こえてくる現象について思ったことについてのページです。
目を通しておく事で、「めんどくせえ」ってことがわかると思います。
このページでは、関係ない話題に対する被害妄想とかコンプレックスとか臆病さについて、ニートの繊細さについて考えたことを書きなぐっていきます。
結論
繊細なニートは、何にでも噛み付きます。
臆病な上に傷を負ってるので、「やられる前にやる」という感じです。
この臆病さが、被害妄想や過剰な攻撃性などを引き起こします。
嫌なものや不利益をもたらすものを即座に察知して対処するためです。
失敗を怖がる余り、なんでもかんでも疑ってかかるので、人とも疎遠となりチャンスも見逃すことになります。
臆病なニートが心穏やかに過ごす方法として、未来のことを考えすぎないという方法が挙げられます。
何故こういう結論に至ったのでしょうか?
考えたことを並べていきます。
おすすめな人
- 「ただの世間話なのに責められてる気がする…」
- 「自分には関係ない話なのに、聞いてて辛い…」
- 「誰と何の話をしても辛い、誰とも話したくない」
- ……など
本題
今回のテーマについては、これらの項目に分けられます。
- 嫌味にしか聞こえない
- 申し訳ない
- 知り合いが来た時とか
- 身内や知り合いとの会話は関わりが多い分辛い
なぜこんな被害妄想をしてしまうか
過去に経験があるから
あんまり悪く受け取りすぎると
悪く受け止め過ぎないようにするには
なぜ自分が嫌がることを人にしてはいけないのか?
なんでもかんでも悪く受け取る人は周りからどう見えるか
全てを疑うようになる
周りがちゃんと幸せを築いてる事実が辛い
それぞれ解説していきます。
嫌味にしか聞こえない
- 「〇〇くんはすごいわねー」「あの子はすごいなー」とかの話を聞くと
- (それを俺に聞かせてどうするんだよ)
- (どうせ俺は失敗作だよ)
- (『この子を見習って頑張れ』とか言いたいんだろうな)
ってなる
- 向こうは特に何も考えてなかったりする
- 警戒してるから、過剰反応してしまう
- 言い合いになったら今までの全てを否定されるから
- 「自分だって頑張ってる」→「結果出てないじゃん」
- 「他の人はもっと辛い中でもちゃんと結果出せてる」「お前は恵まれてる方」
- 「もっと辛い人が結果出せてるのに、お前が結果を出せないのはおかしい」
- 「つまりお前は頑張ってない」「甘えるな」
- 自分なりに努力したことを「この程度」とか「全然足りない」って言われると気が遠くなる
- 限界以上を求められると、「他の人に頼めよ」ってなる
「じゃあみんな甘えずに頑張れば何にでもなれるんですか」って話「経験とか価値観とか能力とか環境とか運とか、条件が違うんだから結果も違って当たり前じゃないのか」って話「あれだけ頑張って足りないなら、一体どれだけ頑張ればいいんだよ」ってなる「もっと時間かけろ」って言われても「これ以上何の時間を削ればいいんだよ」ってなる「もっと一点に集中しろ」って言われても「これ以上何を捨てればいいんだよ」ってなる「もっと夢中になれ」って言われても「どこにそんな魅力があるんだよ」ってなる「嫌いなものでも好きになれ」って「そこまで行くと最早洗脳だろ」ってなる「俺には無理」→「もしできたら最早別人」「じゃあ最初から他の人に頼んだ方が早い」
なぜこんな被害妄想をしてしまうか
- 自覚とか後ろめたさがあるから
- (なんか痛いこと言われそう)って思ったら自分で先に言う
- 「自分でわかってるから、これ以上は言わないで」ってアピールする
過去に経験があるから
「〇〇はすごいな、それに比べてお前は……」ってなったら
- 何も話ができなくなる
- 言ってないことまで勝手に想像して、悪く決めつけるのは止めた方がいい
- 常に完璧を求められる
- 「何も悪いことしてないのに、なんで容疑者扱いされなきゃいけないんだ」ってなる
- 「向こうが勝手に疑ってるだけなのに、 なんで自分がそこまで必死にならないといけないんだ 」ってなる
- 「何様のつもりだ」ってなる
- どれだけ気を遣って信頼を重ねても、一回でもミスれば全部台無しで容疑者に逆戻り
- 何をやっても疑ってくる人からは、自然と人が離れていく
あんまり悪く受け取りすぎると
一緒にいるだけで疲れる
- 自分がやられた時のことを考える
- 「もし自分が誰にも信じてもらえなくなったら?」
- 「もし自分がやることなすこと全てを悪く受け取られたら?」
- 自分がされて嫌なことなので、関係ない人に同じ仕打ちをするのは気が引ける
- 自分に親切にしてくれる人とか、無関係な人にわざわざ嫌な思いをさせるのは、流石にできない
- 「この人にこういう行為をすることで、自分がどうなるか?」ということを考える
- なので無関係な人に対してわざわざ嫌がることはできない
- あと混乱するから
- 自分の行動に矛盾が生じると、なんか凄い罪悪感を感じる
↑割とニートの日常だったりする「可哀想だな……」ってなる嫌いな相手とかなら「思い知れ!」「これが今までお前が俺にしてきたことだ!」ってなるけど自分を納得させられる理由が見当たらない「嫌いな人に嫌がらせをすれば、溜飲が下がる」ということもあるでも「無関係な人に嫌がらせをすれば、いい気分になれる」とはならない自分に何のメリットも感慨もないから「なんでそんなことをしたのか?」という理由が見つからず、自分の行動に矛盾が生じるから特にそれが悪事だと、今まで大事にしてきた沢山のものを裏切った感じがしてくる
悪く受け止め過ぎないようにするには
- 自分が同じ仕打ちを受けた時に反論できなくなるから
- *「理不尽な仕打ち」ではなく「当然の報い」にされてしまう
- 「あいつ金盗まれたんだって」→「かわいそう」
- 「でもあいつも他人の金盗んでたんだって」→「なら仕方ない」「むしろいい気味」
- ってなる
なぜ自分が嫌がることを人にしてはいけないのか?
- SNSや掲示板で、好きな作品とか芸能人に対する愚痴垢とか愚痴スレとかを見てみる
- 「こじつけ捏造言いがかり憶測で叩き放題」「事実の捻じ曲げで印象操作風評被害」の醜さがわかる
- 周りに誰もいなくなると、妄想と現実や一部と全体の区別がつかなくなってくる
- それで、罪悪感なく嘘がつけるようになる
- 改めて考えてみると、妄想は妄想であって、現実にはなり得ない
- では何故ストーカーとかの人達は妄想と現実の区別がつかなくすることができるのか?
- どうやって自分の考えにそこまで自信を持ってるのか?
- それについては、下記のページで
-
【8-75】妄想と現実の区別をつかなくする方法
クレーマーとマスゴミと終末論信者と陰謀論マニアによる大乱闘みたいな場所妄想と現実の区別がつかなくなった人同士が言いたい放題でカオス空間を形成してる普段誰にも相手にされないから、自分自身を客観的に見れなくなってる誰にも相手にされない→自分の考えが全てであるかのように錯覚してしまう自分以外の誰かがいれば、自分/全体=1/?で「自分の考えはあくまで全体の一部」ということを意識できるでも自分以外に誰もいなければ、自分/全体=1/1で「自分=全体」だと思い込んでしまうどんなトンデモ理論や捏造だろうと、本人の中では真実だからさも事実であるかのようにデタラメを吹聴したり都合よく捻じ曲げたり誇張したりなぜ妄想と現実をすり替えるのか?
なんでもかんでも悪く受け取る人は周りからどう見えるか
- 好きなものに対する愚痴を見てると、恐らく言い返したいことがいっぱい出てくると思う
- 中には事実も混じってるけど
- 信仰を失うことは、いきなり暗闇に放り出されるようなもの
- だから信仰を失ったり、傷ついたりすることを極端に恐れる
- 信仰は、知らない人についていくのと変わらない
- 言い返したくなるだろうけど、言い返さずに我慢する
- 「人のふり見て我がふり直せ」で反省する
- 「好き勝手言われる気持ち」は理解できるようになるけど、それで「こういう行為は他人に対してやめよう」って思えるかは別問題
申し訳ない
- 周りの成功話とか聞く度に「俺にもこうなって欲しかった」とか考えてたんだろうな
- 真面目で幸せそうな恵まれた人間を見ると死にたくなる
- 「俺が失敗したのはお前らのせい!」から「俺を失敗させたお前らは敵!」になっていく
- *何もかもが敵に見えてくる
- 絶対に邪魔されたくないから
- 絶対に失敗したくないから
- 失敗が大嫌いだから、それに繋がる可能性を徹底的に探し出して取り除こうとする
- なんでもかんでも悪く受け止めるのも同じ理由
- 最悪の事態=失敗を回避するため、神経質になっている
なんで何もかもが敵に見えてくるのか
料理の中から嫌いな食べ物を取り除くみたいに警戒しているから、なんでも疑ってかかる
- 味方もいなくなるし、成長もできなくなる
- 失敗を嫌いすぎない
- 嫌いだとしても、自分で受け入れられる程度に抑える
全てを疑うようになる
- 周りと自分とで何が違うのかに悩む
- 成功ルートに入れなかった自分の選択を後悔する
- 周りを妬む
- 周囲に見せるのは良い面ばかり
- 自分から深刻な悩みや困りごとを曝け出す奴はいない
- わざわざ自分の汚点や恥を周囲に報告するわけがない
- 周りが幸せそうに見えるのは、見られたら困る汚点を隠しているんだから当たり前
- 「自分は汚点だらけだけど、あの人は汚点が全くない」風に思えてくる
- そういう見栄とかマウントとかをテーマにした作品ならいくらでもある
- 人間の醜さが見えて戦慄もするけど、同時に安心もする
- 自分と同じか、自分より下と思える人を見つけると安心する
- それについてはこちら
周りがちゃんと幸せを築いてる事実が辛い
隣の芝生は青く見える
何故、他人を見下すと安心できるのか?

知り合いが来た時とか
- 親戚とか昔の友達とか
- 隠れる
- 気まずすぎる
- 明るくしてても暗くしてても心配されるだろうし
- 元気だったら元気だったで「コイツ自分の立場わかってんのか?」って思われるし
- 落ち込んでたら落ち込んでたで相手に気を遣わせるのが申し訳ないし
- 会うたびに「今何してるの?」って聞かれるの嫌
- どんな返事しても良い顔されない
- 「何もしてません」→「これからどうするの?」→「わかりません」→説教コース
- 「大丈夫です」→「そうか、何やってるの?」→「えーっと……」→嘘だから答えるの大変→苦しい答えしか返せない→相手も腑に落ちないで終わる
- どっちのルートでも話すのが苦痛だから、話したくない
正直に答えた場合
誤魔化した場合
正直に話したら、責められるのが辛い嘘をついたら、取り繕うのが大変
身内や知り合いとの会話は関わりが多い分辛い
- 「この前〇〇くんとこの奥さんと会って……」「あの〇〇って子はすごいわねー」とか、「親戚の〇〇さんが来たわよー」とか「〇〇くんから電話よー」とか
- 見たくないこと、聞きたくないことの話をし始めるし、知られたくないことを知ろうとしてくる
- なんでもない会話がコンプレックスを直撃してくる
- 心配するつもりで傷口に触ろうとしてきたりする
- 繊細になり過ぎない
まとめ
まとめると、このようになります。
- 周りの成功エピソードから、卑屈になったり被害妄想したりしてしまう
- 被害妄想するのは、警戒し過ぎているから
- 警戒しすぎていると、周りの人が離れていく
- 周りの人が離れていくと、妄想と現実や一部と全体の区別がつかなくなってくる
- 失敗が怖いからといって警戒しすぎると、自分の首を絞めることになる
- 成功して完璧なように見える人も、単に見栄はって失敗や汚点を隠しているだけだったりする
- 身内や知り合いは、関わりが多い分コンプレックスや傷口を刺激してくる
- 繊細になりすぎるのも良くないが、辛いなら伝えた方が互いのため
しかし…
ニートやってて罪悪感と共に生活してると、こんな風に何気ないやり取りの中でも過剰反応してしまうことがあります。
周りと比較して落ち込んだり、過剰に神経質になったり、卑屈になってしまったり……
それらは、臆病な性格が原因です。
臆病だからこそ、自分の周りから嫌なものを探し出して、備えようとしてるわけです。
失敗が恐いから、警戒します。
裏切られてショックを受けたくないから信じません。
痛い所を突かれる前に、自分で突いて「これ以上はやめて」と訴えます。
攻撃は最大の防御、やられる前にやります。
しかし、大抵の場合は被害妄想の上、結局は自分の首を絞めることになります。
ですが「被害妄想はやめよう」「そんな風に考えてもしょうがない」と言われても、性格は簡単には変えられません。
「怖がらないで」と言われても、怖いものは怖いです。
しかし怖がってばかりでは仲間もできませんし、チャンスを見逃してしまうため自分も成長できません。
やがて八方塞がりになってしまいます。
でも今まで失敗続きで、今も劣等感まみれのニートに「頑張れ!」とか「やればできる!」とか言ったところで響きません。
自分の無力さを嫌というほど思い知っているからです。
勇気があっても、能力がなければ成功できない
能力があっても、勇気がなければ挑戦すらできない
なのに臆病で勇気が出ない、ニートで能力がない。
片方だけならまだしも、両方足りないので苦労も多いです。
では、臆病なニートが生きていくには、一体どうすればいいのでしょうか?
というわけで、次回のページはこちらです。
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- 臆病なニートが、平穏に暮らすための方法についてのページです。
- その方法は、未来のことを考えすぎないです。
- 未来のことを考えるから、恐怖が生まれるわけです。
- 結果が出るまでプレッシャーから解放されないので、計画とか期待とか計算とかは程々にしましょう。
- 最低限健康でのんびりできる日々を過ごして、「やっぱこんな生活じゃ満足できないな」ってなったら動いてみましょう。
- 自信を持つ方法とか、力を付ける方法とか、性格を変える方法もありますけど、ただ一人で静かに暮らすだけなら必要ないです。
- 目を通しておく事で、なんかもうこんな暮らしでもいいかな?って思えて来るかもしれません。

【要約】
【意味】
自由なコメント