このページは…
「生きてるだけで素晴らしい」という言葉についてのページです。
目を通しておく事で、この言葉の受け取り方について考えることができるようになります。
このページでは、この言葉の持つ意味や対応などについて、簡単な説明を行っていきます。
結論
この言葉は、大事です。
この言葉を受け止めることで、自身を安心させ、周囲に対しても優しくできるようになります。
また、成長・自立を促すという側面もあります。
ただし、ありがたすぎて受け取りにくいという欠点があります。
その対策として、「受け取らない方が失礼」という考え方を持つ方法が挙げられます。
何故こういう結論に至ったのでしょうか?
理由を並べていきます。
おすすめな人
- 「嬉しいのに、『何か裏があるんじゃないか?』と勘ぐってしまう…」
- 「その言葉は嬉しいけど、恐れ多くて受け取れない…」
- 「手放しで喜べなくて困っている…」
- ……など
「生きてるだけで素晴らしい」という言葉について
結論に至った理由
この言葉に関する僕の考え方については、これらの項目に分けられます。
- 「そんなバカな」
- この言葉は、素直に受け止めるべき
- どうやって受け止める?
- それでもやっぱり受け取れない
それぞれ解説していきます。
- 生まれてこない方がよかったでしょ
- 自分にとっても周囲にとっても
- 自分にとっては、何もできないからただ惨め
- 周囲にとっては、何もできないからただ邪魔
- 成長もできない
- いくら頑張ってもできない
- どれだけやっても身につかない
- それでもっと頑張ると、無理が祟ってガタが来る
- どれだけ真剣にやっても、いつも後出しされて負ける気分
- 頑張ってもできないし、もっと頑張ると台無しになる
- 土台が安定してない
- 形が歪過ぎて使えない積み木
- 俺が生まれてきて誰が得したんだ
- 俺が生きてて誰が喜ぶ
- 「ありのままの自分」なんて誰にも喜ばれるわけがない
- でも「喜ばれる自分」になるのも苦しい
- 「生きてるだけで素晴らしい」とか「生まれてきてくれてありがとう」とか、根拠はあるのか?
- あるにはあるだろうけど、それで納得できるかは別
- 根拠はない方がいいのかもしれない
- 愛情に根拠とか理由があると、自己肯定感の欠如に繋がる
- 根拠や理由を求めることは、せっかく貰った愛情を疑うことになる
- せっかく自分を愛してくれた相手を疑ってどうする
- 相手も嫌な思いをするし、自分も嫌な状態から抜け出せない
- この言葉を否定することは、自分を愛してくれた人を否定することになる
- 自分に向けられた愛情を素直に受け止めることが難しいのは理解している
- 「せっかく貰っても、お返しできないから辛い」「申し訳なくて受け取れない」という気持ち
- 感謝の気持ちが強ければ強いほど、素直に受け取れない
- 潜在的には「愛して欲しい」「幸せが欲しい」と望んでいても、「自分にはその資格がない」「資格もないのに手に入れても、台無しにしてしまうだけ」「手に入れた後で失うより、最初から持ってない方がマシ」という考えに上書きされて、「別に愛されなくていい」「幸せなんていらない」と思い込んでしまう
- 何かを望むためには、「失敗しても大丈夫」と思えるようになること
- 余計に惨めで不甲斐ない思いをすることになろうとも、受け取っておこう
- わざわざ届けに来てくれたのに、「結構です」の一言で門前払いは失礼だ
- 「わざわざ届けに来たのに、この仕打ちは何だ!」と思われてしまう
- 相手に申し訳ないと思うなら、受け取っておくべき
- 疑ってしまうのは、「期待が裏切られるのが怖いから」「ぬか喜びしたくないから」
- 真に受けて喜んだ結果、後で失望した時の衝撃が大きくなるのが怖いから
- 喜び過ぎないことが大事
- そもそも人の口にする言葉に、そこまで深い意味はないということを意識する
- 「考えて喋る」って実は難しいし、「正確に伝える」のは更に難しい
- そんな難しいことを、普通の人が日常の一場面でまで徹底していられるだろうか?
- 「素人がぶっつけ本番のアドリブで何か深い意味のあるセリフを言え」なんて無理
- つまり、ほとんどの場合どんなことを言われても、大した意味なんて込められてない
- 常にそこまで考えて喋ってたら、身が持たないからだ
- その場の勢いだったり、「何か言わなきゃ!」と焦って出てしまった言葉だったりもする
- 言葉は扱いが難しい
- 言葉にこそ、完璧を求めないようにする
そんなバカな
この言葉は、素直に受け止めるべき
どうやって受け止める?
- 気持ちは嬉しくても納得はできない
- 相手を信じることができない
- 自信がないから
- 理由を知りたい
- 絶対俺じゃなくて他の人間が生まれた方が良かった
- 生まれた時点で負けが決まってる
- 人生そのものが結果の決まった出来レース
- 結果が決まってるなら、別に俺が参加する意味ない
- 棄権したい、参加取り消ししたい
- 強制参加なのが辛い
それでもやっぱり受け取れない
仮に言った側が喜んでくれたとしても、自分はは喜べない
まとめ、感想、あとがき、余談、補足
- 「生きてるだけで素晴らしい」という言葉は、自信がないと受け取るのが難しい
- しかし、受け取らずに返す方が相手にとっては失礼。相手を気遣うのであれば、受け取るべき
- そもそも大抵の場合、人が話す言葉にそこまで深い意味は込められていないので、勘ぐる必要はない
「生きてるだけで素晴らしい」という言葉について
「相手を気遣うのであれば、自信がなくとも受け取っておくべき」というのはわかりました。
能力や人格など、条件付きの愛情ではなく、存在そのものを肯定されることのありがたさも理解してるつもりです。
自分そのものを肯定することは、健全な自尊心を育み、自立する為にも重要なプロセスです。
自分そのものを肯定すると、失敗や過程も含めて肯定することができるので、どんな経験も糧にすることができるようになります。
どんな経験も糧にすることができるので、常に成長することができるようになります。
この「生きてるだけで素晴らしい」という言葉は、成長する為には非常に有効であると考えられます。
しかし…
そうはいっても、自分を肯定することは難しいです。
自分の弱点や、都合の悪い部分を見て見ぬ振りすることはできます。
しかし、それらは肯定ではなく、隠蔽です。
「自分を肯定する」ということは、それら「都合の悪い部分も含めて自分を受け止める」ということです。
その為には、「自分にはこんなにダメなところがあるけど、大丈夫!」と思える自信が必要です。
ですが、「ダメな部分を受け止めた上で自信を持つ」ということは、とても難しいです。
「ダメな部分を上回るほどの長所が自分にはある!」という確信を持たなくてはいけません。
これが難しいです。
ダメな部分ならいくらでも挙げることが出来ますが、長所は一個も挙げることができません。
しかも単なる「長所」ではなく、「ダメな部分を上回るほどの」という条件付きです。
僕には無理です。
単なる長所すら思いつかないのに、条件付きでなんて無理に決まってます。
ですが、自分を肯定するには、自分の長所を知る必要があるのです。
そして、自分を肯定することができなければ、都合の悪い部分から一生目を逸らして生きていくことになります。
それはかなりのストレスを伴うでしょう。
やりたいことが見つかったとしても、都合の悪い部分と向き合う必要ができた途端、諦めなくてはいけません。
言葉の受け取り方にしてもそう、どんなに嬉しくありがたい言葉であったとしても、素直には受け止められなくなります。
隠蔽したい部分を褒められても、反応に困ってしまいます。
自分を肯定することは、成長する上でも、人と関わる上でも、重要なことと考えられます。
では、どうやったら自分を肯定することができるのでしょうか?
というわけで、次回のページはこちらです。
次のページ

- 自分を肯定する方法についてのページです。
- 自分を肯定するには、視点を変えることです。
- 単純に言い換えるだけでなく、別のシチュエーションや、別の目的を考えることで、弱点だと思っていた部分を長所に変えることができるようになります。
- 弱点を無理やり克服するのではなく、弱点が活きる環境を見つけるので、効率的です。
- 弱点は無意識でやってしまうものが多い為、もしも良い方向に発揮できたら、一気に反転して強みになります
- 目を通しておく事で、自信を持つための方法を知ることができます。
【要約】
【意味】
自由なコメント